*つめくさをめぐる冒険*

 その季節になると読みたくなる本とか小説とかがあります。たとえば春ならば時代小説なんかどうでしょう。東北において一番季節の変化を強く感じるのは春です。その春に、季節の変化をきめ細かく描写した時代小説を読むと、なおいっそう小説の世界に浸れるのではないでしょうか。同じ理由で野草の図鑑もよく観ます。
 ところで家にはクーラーがないんです。灼熱の山形の夏、とても本など開く気になりません。そんなときは江戸川乱歩を読みます。暑さでぼーっとした脳みそに乱歩ワールドはうまい具合にとけ込みます。
 秋、それも晩秋といえば何といってもレイ・ブラッドベリ。ブラッドベリと秋とは切っても切れません。ブラム・ストーカーとか古い怪奇小説もいい物です。
 冬は何でしょう。冬はヒマさえあれば本を読んでいるのでこれといったものは思いつきませんが、強いていえば食べ物の本です。料理の本、食材の本、食べ歩きの本、食に関するエッセイなど。今年読んだ本では「山形のうまいもの」が写真もきれいでうまそうだったなあ。
 毎年夏のはじめになると読み返す物語があります。宮沢賢治の「ポラーノの広場」です。
 初夏から秋にかけてイーハトーヴォの野原のどこかにある、祭りのある広場をめぐっての話。
 モーリオ市の博物局の職員である語り手が、二人の少年と出会い。彼らとともに昔話にあるポラーノの広場を探すことになります。その広場は野原に咲くつめくさの花の番号を五千まで数えたところにあるとされ、三人は日が沈み、つめくさの花に灯りがともる頃、花に刻まれた番号を数えながらポラーノの広場を探し始めます。
 ところでこの「つめくさ」。今まで漠然とクローバー(白詰草)の事だと思っていました。
 ところがこの春、野草の図鑑をみていたら「爪草」という草が目にとまりました。今までなんの疑いもなくクローバーだと思って何度も読み返していたのですが、実はまったく別の爪草だったのではないかという疑問が浮かびました。文庫本のカバーの絵を見てみると、そこに描かれているのは紛れもなく爪草のほう。ありもしない風景を毎年頭の中に作り上げていたのだろうかと、いささかショックを受けました。
 そして夏が始まるころ、またこの物語を読み返してみました。
 つめくさは次のように描写されていました。
 向こうの黒い草むらのなかに小さな円いぼんぼりのような白いつめくさの花があっちにもこっちにもならび、そこらはむっとした蜂蜜のかおりでいっぱいでした。
 「あのあかりはねえ、そばでよく見るとまるで小さな蛾の形の青じろいあかりの集まりだよ」

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 そしてよく見ますと・・・・一々のあかしは小さな蛾の形のあかしから出来てそれが実に立派にかがやいておりました。ところどころにはせいの高い赤いあかりもりんと灯りその柄の所には緑いろのしゃんとした葉もついていたのです。
 どうやらこれは白詰草(クローバー)の方が正しかったようです。
 なんのことはない。そのまま素直に読んでいればよかったんです。
 毎年読み返すたびに頭の中に広がった景色は、今年はより鮮明に再現されることとなりました。
 さて、三人のみつけた広場は、いつわりのポラーノの広場でした。
 季節がすぎ、秋。彼らは「むかしのほんとうのポラーノの広場」をこさえるためにふたたび野原に向かいます。
 秋の草が高い穂を出しもつれ合っている中、草穂のかげに小さな小さなつめくさの花が青白くさびしそうにぽっと咲いていました。

(1999年8月)

ポラーノの広場
イーハトーヴォの野原

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