*冬の風景*

 私の暮らす新庄・最上は山形県の中でも雪の多い地方です。
 私が子供の頃は2mくらい雪がつもっていた記憶がありますが、地球温暖化の影響でしょうか、最近は多くても1.5mくらいです。そして今年は異常なほど雪が降りません。町場などは田んぼの土が見えそうなほどです。
 我が家の田んぼはほとんど地下水に頼っていますから、春の地下水の量がとても心配です。
 最上の冬というと「雪に閉ざされる」といったイメージが強いようです。
 実際1月、2月は太陽が顔を出す日なんてほとんどなく、空はいつ見ても灰色です。ですから日が暮れるのも、とてもはやい。それに農家などはする仕事もなく、町に働きに行ったり、出稼ぎに行ったりで、村の中に活気が無くなります。
 でも子供の頃は雪の降る日が好きでした。
 小学校から家まで1.5kmほどの農道をとぼとぼと1人で歩いて帰ります。明るい灰色の空からは真っ白な雪が息苦しくなるほどびっしり、そしてゆっくり降ってきます。
 これくらい降ると、景色から色が無くなり、目に見える世界がすべてモノクロームになります。
 降り続く雪の幕のはるか先に自分の住む集落が黒くぼんやりと見えます。道路から、田んぼから、一面真っ白なので距離感が麻痺します。音も何もしません。そうすると、降る雪以外まったく動くものが無く、止まった時間の中で雪だけが動いているような不思議な感覚にとらわれてしまいます。そんな雪の降る日が好きでした。
 大人になると、雪を楽しむ余裕もなくなりました。農業とは別に冬だけの仕事を探さなければなりません。
 10代の終わりから20代のはじめに東京と神奈川に出稼ぎに行ったことがあります。雪国では毎日仕事にでる前に家の前の雪かきをしたり、休みの日には屋根の雪下ろしをしたりしなければならず、よけいな労力が必要です。それにくらべて仕事と休みの境がしっかりしていて、生活にメリハリがある分、雪国の冬より気持ちにゆとりが生まれます。
 都会の冬はとても乾いた感じがします。風、空気、コンクリートの壁、煉瓦、アスファルト、葉を落とした並木、常緑の木まで乾いて無機的な感じです。
 だからでしょうか、私は都会の冬の雨の日が好きです。水のしみたコンクリートは重量感を取り戻し、木々たちも息を吹き返し、くすんだ灰色の空から降る雨は空間を湿らせ、乾いた都市全体に潤いを与えます。
 夜勤で社員寮から会社まで行く道に降る夜の雨。
 雨に濡れた黒いアスファルトが街灯の明かりで白く輝きます。道の片側には大きな杉の並木があり、雨の粒をまとめてぼたぼたと落としてよこします。道の反対側には小さな住宅がひしめき合い、玄関の小さな灯りが夜の雨に温もりを与えます。
 傘を打つ雨の音だけを聞きながら、そんな道を歩くのが好きでした。
 ここ数年は自宅で冬を過ごしています。
 雪に閉ざされ、生活に追われ、やはり雪国の冬はきびしいなあ、と実感しています。
 それでも、少しずつですが、生活に追われるだけでなく、子供の頃みたいに冬の生活を楽しむことが出来るようになりつつあります。春を待つだけの生活では寂しすぎますから、もっともっと冬を楽しめるようにしていきたいですね。

(2000年2月)

昭和の冬
冬の風景・昭和地区

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