*ユートピアのナチュラルハイ*

  私が20代の冬の半分を過ごした場所は、蔵王温泉スキー場の山頂まで行くロープウェイの、乗り継ぎ駅の駅舎に併設されたロッヂでした。そこで住み込みで働いていました。
 目の前にはユートピアゲレンデ、そして樹氷原が広がります。
 午後5時のロープウェイの最終便がでてしまうと、下界とは完全に遮断され、日中の喧噪がウソのように静まりかえります。宿とゲレンデとリフトと樹氷、それ以外にはなにもありません。
 スキーヤーが去った後、一面バラ色に染まる樹氷原。動きを止めて、夜の冷気の中でじっと冷えていくリフトのベンチ。宿から漏れる灯りの中を隙間なく降り続く夜の雪。樹氷を育てる凍えた風の音。そして3月の朝、ロープウェイの駅舎から見下ろす一面の雲海。まさに現実世界から切り離されたユートピアといった感じです。
 この蔵王の生活の中で、一度だけナチュラルハイというのを体験したことがあります。

*   *   *

 蔵王の2月はいつも灰色の厚い雪雲に閉ざされて、太陽が顔をのぞかせる日はほとんどありません。しかし一ヶ月のうち何日か、信じられないくらい青く晴れ渡る時があります。
 そんなとき、山の上で生活している者の特権で、朝一番のロープウェイに乗り、山頂まで行き、誰もいないゲレンデをスキーで一気に滑り降ります。
 冬の晴れた朝の空気は氷のように冷えています。そんな空気を突っ切って、全長8km、高低差806mの樹氷原コースをノンストップで滑り降りるわけです。そして、横倉ゲレンデまで滑り降り、ロープウェイに乗り、山の上のロッヂへ戻っていきます。
 その日、ロープウェイを降りた時は、いつものように気分が高揚しているだけでした。
 ロッヂに戻った時、少し感覚が変なのに気付きました。
 一点の曇りもなく気分が高揚しています。目が回った時のように平衡感覚がマヒしたような感じです。それから視覚も何か変です。フィルターをかけたようになんとなく薄暗くて、目に見える物の輪郭がやけに際だって、目に突き刺さるようです。そして交わし合う会話もどこか遠くのほうで、遠い時間の中で誰か別の人が会話しているような感じです。
 これが本当にナチュラルハイという感覚なのかはわかりませんが、何というか、無条件の幸福感に包まれてるといった感じで、『至福』とはああいう感覚ではないのかなと思います。
 それ以後も何度か晴れた朝のゲレンデを滑り降り、高揚感を味わいましたが、あのときとまったく同じ感覚には二度と出会うことはありませんでした。

*   *   *

 そこでは下界とはまったく違ったスピードで時間が流れています。そして様々な人々が様々な思いを抱えてここを訪れ、異質な時間の中に身を置き、やがて日常の時間の中に還っていきます。
 20代で先がまったく見えなかった頃、ユートピアの異質な時間の流れの中で過ごした5つの冬が、今の自分に繋がっています。
 「あんな毎日を送ってみたい」ぼんやりとしたそんな思いが、今のこの生活の原点だったような気がします。

 今はもう、ユートピアにはあの宿の灯りはともっていません。なにやらふるさとを失ってしまったような寂しさがあります。それでもユートピアのあの宿での毎日が忘れられず、ここにもう一度それをつくろうとしているのかもしれません。

 そういえば、ずいぶんスキーしてないなあ。

(2002年2月)

蔵王の樹氷原
蔵王の樹氷原

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