*農家の六月 〜懐しき 80’S

 毎年の事ながら、目が回るほど忙しい5月が終わり6月になると、ホッと一息つきたくなります。が、なかなかそんなわけにはいきません。毎日の水管理や畦の管理といった、忙しくはないけれど毎日の細やかな神経を必要とする仕事。有機栽培田の除草。大豆や雑穀の種まき。やるべき仕事が次から次と発生します。
 思えば懐かしい80年代。
 田植えが終わって6月ともなると、みんな田んぼに出て畦の草刈りや田んぼの草取りや追肥や、諸々の細かい仕事をやっていました。というか、半分は寄り集まってぐだぐだダラダラ、ジュースでも飲みながら世間話に時間を費やしていたような。思えばのどかな時代でした。
 21世紀。6月ともなると最近の田んぼには人っ子一人いません。もちろんみんな遊んでいるわけではありません。米づくりで生活を支えていけない昨今、新しく始めた花卉栽培やら野菜、山菜栽培、もしくは会社勤めやらに時間を費やしているわけです。
 6月に田んぼに出ているなんてのは私一人だけってな状況です。もちろん私もヒマではないのです。ぐだぐだダラダラはしていられないようになりました。
 
 国の政策としては農家をなくして、大規模経営や集落営農などの農業団体、法人に生産を移行していくようです。そうなると今までの農家がやっていたような形の農業では採算が取れなくなるんでしょうね。徹底した合理化、省コスト。農業をするのは経営者と労働者に二分されて、他の産業のように日本人より賃金の安い海外からの労働者が農作業の中心となるのかな。
 近い将来、田舎に行ってみると田んぼや畑にいるのは外国人ばっかりってなことになっちゃうんでしょうか。なんか不思議な光景だなあ。
 
 農業に関するいろんな報道や識者の意見とか、特に農業関係者向けのそれを見ると、法人化、大規模化ってのがすでに前提として語られるのがかなり多くなっています。それ以外日本の農業の選択肢は無いってな感じです。
 それでも私がなりたいのは経営者でも労働者でもなく、「農家」なんですよね。
 不効率で、収入が安定しなくて、仕事がキツイ。でもおもしろいんだよ。
 まじめくさった農作業労働者とか、コストカットに命をかける経営者とか、おもしろくなさそうだもん。
 有機農業なんかは大規模経営より農家って形の方が合っていると思うし、探せばまだ農家でしかやれない農業ってあるかもしれない。そうするとまだまだおもしろい事がありそうだ。
 それでもあの80年代の6月のダラダラ感にはもう戻れないんだろうな。

(2006年7月)

雲
ぼんやり雲を眺めていたら海を見に行きたくなった。

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